こんにちは、秋山です^^

ソメイヨシノから数々のサクラの開花が美しい今、ツバキも開花時期を迎えています。

右の写真は、去年に購入したツバキです。今年の3月下旬に初めて開花しました。

通常のツバキよりも小ぶりに花を咲かせる"侘助"という品種で、工事部の先輩の昇さんが「渋くてとても良い花を咲かせる」と教えて頂いたのをきっかけに購入に至りました。


去年は剪定をする時に "チャドクガ"に何度も刺されたことを思い出されます。しかしこの花の美しさを見ると不思議と嫌いにはなれません。

実は安行は、ツバキの栽培が日本一であると言われています。

その栽培の歴史は江戸時代まで遡り,安行の歴史と共に紹介させていただきたいと思います。


安行の地が世界的に有名な植木産地として栄えたのは、安行植木の祖と言われている"吉田権之丞"(1635年~1703年)の功績からくるものです。

吉田権之丞は、子供のころから花や草花が好きで農業に専従しながら、江戸の植木産地であった染井村に出かけては植木の栽培の技術を学んでいた。そして地元安行村での庭木や草花の栽培に成功していく。

江戸では徳川家綱(1641年~1680年)が初期の幕閣政治に取り組んだ頃、本郷丸山の本妙寺から出火した火が強い風に煽られ次々と南進していき、湯島や神田明神近辺を焼き尽くしていった。それが江戸の大火(1657年)と呼ばれ、四百町の町が焼け10万人もの死者を出すほど江戸は焼き尽くされました。


 

焦土と化した江戸や本郷、駒込が復興の兆しが見え始めた頃、吉田権之丞はすげ傘を被り、花や苗木がひしめき合った天秤を担いで、江戸復興のために駒込近辺に緑を植えに行きます。

かつての駒込の植木屋の恩師達の顔が錯綜し権之丞は居ても立っても居られなくなったのでしょうか・・・

江戸町民のお役に立てればとの想いが、後の安行の植木の祖となったのです。

吉田権之丞が駒込染井(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋から学んで、安行村に伝えた植木の技術は、
曲げ物(盆栽仕立て)、挿し木、挿し穂、接ぎ木、サツキ・ツツジ・ツバキなどの草花の栽培方法などと言われています。

中でもツバキの栽培は現在でも日本一といわれていて、安行の地で生まれた新品種が全国で流通している。

元禄16年(1703年)7月に68歳の生涯を閉じました。花物の技術を広めていった彼は、周りから「花屋」と呼ばれるようになり、現在でも吉田家は「花屋」と称し呼ばれている。お墓は金剛寺で祀られ、現在も誰ともなく花が添えられ線香の煙が上がっています。
吉田権之丞の記念碑(川口市安行 金剛寺内)
会社周辺のツバキ
江戸復興のために草花を広めていった吉田権之丞の想いに、植木の技術を授けてくれた方たちへの思いがあったことに私は感動しました。復興が叶った時にかつての恩師に礼を尽くせたのでしょうか。

安行植木の地が栄えたことが何よりの証明だと私は思います。


参考文献
「吉田権之丞の生涯」『安行植木の開祖吉田権之丞没後300年記念誌』、吉田権之丞祭実行委員会、2002年7月1日、16-17頁