こんにちは、秋山です。^^
 
日本で10年に一度の大寒波が過ぎ、これから春に向けて暖かくなることを期待していますが、2月も例年より寒いことが予想されています。
 
現場で陽の光を浴びていると春の陽気が少しずつ漂っていることがわかります。
 
さて、今回は有名な作庭家の紹介をさせていただきたいと思います。

[図1 タチカンツバキ 品種:アサクラ 筆者撮影2023/01/18]
はじめに
 安行庭苑のスタッフとして造園業に従事するにあたって、歴史から学び、あらゆる視点で作庭に従事したいと思い立ったのが背景です。
 そして作庭家を知り、いずれはその作庭家の庭園に足を運ぼうと考えています。私もかつての作庭家の様に庭園の構想に想いを馳せられるようになるのが目的です。
 
 日本の作庭家 第一弾として、京都ブログで紹介させていただいた庭園の作庭家を紹介させていただきたいと思います。
 


〈建仁寺「大雄苑」の作庭家 加藤熊吉〉
 加藤熊吉(1889〜1959)は建仁寺方丈庭園の一つ「大雄苑(だいおうえん)」[図3]の作庭家です。
明治22年(1889)、植木屋の”植熊”二代目加藤熊次郎の長男として生まれました。
 
 初代植熊は植木の生産・卸業を営んでいましたが、二代目になってからは造園業に注力し、茶道の裏千家・今日庵の出入りの職方を務める様になりました。そして熊吉が三代目を継いでからも、先代から引き続き職方を務めています。
多くの商家(町家)の庭、茶庭の作庭をされており、井筒から水を湧き出させて流れを作る様な「癒しの庭」[図4]を得意としていました。
 
 熊吉さんを知る人の間で伝えられてきたこんな逸話があります。
あるお宅のお手入れにずっと入っていた時に、ある時縁の下に何かがあることに気づいてよく見てみたら、小さな石が綺麗に積まれていた。それはそれは綺麗に積まれて、その家の奥様も驚かれたそうです。そういったさりげない遊び心のある人だったようです。
 
 職人としての腕もあり、[図5]の石積み”崩れ積み”は19歳の時の仕事であったと伝えられています。
 
[図2] 加藤熊吉(1889~1959) 引用:『庭NIWA  24630頁
[図3] 建仁寺「大雄苑」 筆者撮影2023/01/04
[図4] 炭屋旅館「玉兎の庭」 引用「246庭NIWA」31頁
[図5] 崩れ積みの石積み 熊吉作 引用:『庭NIWA  24631頁
 ”植熊”は江戸末期から続く造園業の老舗です。今は4代目に師事をしていた小河正行さんが5代目として親方を務めています。

先ほどの熊吉さんの逸話も小河さんが先輩方から聞いたといわれる話です。

私も基礎を元に、作庭をする時に真面目過ぎず、許される限り遊び心を忘れない、その様な作庭を目指したいです。

多くの作庭家を知るために少しずつこの様にブログとしてあげさせていただきたいと思います。
 


 普段は会社にある文献を使わせていただいていますが、私が参考文献として使わせていただいた
庭NIWAという雑誌など自分からも購入できる範囲で庭に対しての見識を深めていきたいです。
 

 

 現場で技術や技能だけを磨くだけではなく、知識なども深めていき安行庭苑のスタッフとしてあらゆる方面で力をつけていきたいです。

 


そのためにも日々精進です^^

 
まだ2月まではまだ気温は低いままですが、皆さまどうかご自愛ください。



参考文献
引用庭 NIWA』246号、株式会社建築資料研究所、2021年、30~31頁