こんにちは、秋山です^^

ユキヤナギの花がまばらに咲いてくるほど
[図1 ユキヤナギ(埼玉県川口市N様邸)筆者撮影2023/02/08]
少し春の気配を漂わせつつ、まだ安定しない気温を現場では直接肌で感じます。

最近、庭工事でスコップを振るうことが多く、気温が低いのに対して汗をかくことが気持ち良く感じます。

今回は明治時代後半から昭和初期に活躍した庭師の【本位政五郎】と京都画壇の一人である【山元春擧】を紹介させていただきます。
〈本位政五郎〉
本位政五郎(生没年不詳)は京都御所の南辺、堺町御門の近くの柳馬場通竹屋町下るで「國華園」の屋号で造園業を営んでいました。

「京都で造園第一の技術者」
1)、既にその頃までの京都の造園業者の中では、技術の上では名人級の人として自他ともに許されていた」2)と昭和期の作庭家の重森三玲(1896~1975)に言わしめたほどの技量の持ち主でありました。

本位政五郎の作品で今も遺るものは、滋賀県大津市の「蘆花浅水荘」[図2 蘆花浅水荘 弊社社長撮影2022/09/03]、京都府京丹後市(旧峰山町)の「桜山荘」、京都府京都市山科区の「閒居 吉田や」、大阪府岸和田市の「五風荘(旧寺田邸)」などです。


その他の手がけられた庭園や政五郎の生い立ちについてはほとんど分からず、「最初は盆栽作りから出発されただけに、作庭の芸が細かく・・・」2)と重森が紹介する程で情報が少ないです。

本位が営んでいた会社・國華園も今はないが、その技を継承したともいわれる名人に中根金作(1917~1995)と並び、足立美術館等の庭園を手掛けた小島佐一(1908~1978)という方がおられます。

佐一は本位政五郎の庭を、「豪快さをできるだけ内に秘め表にはごく簡素な装いしか出ない文人好みのものです。」
3)と語っています。

そして、「5代目 植為」として京都御所・桂離宮・修学院離宮の庭園に携わり、数々の住宅庭園の作庭を手掛けたことで知られています。

政五郎が作庭した「蘆花浅水荘」の庭園について取り上げさせていただきます。

 
〈蘆花浅水荘〉
蘆花浅水荘は、京都の近代日本画家として竹内栖鳳(1864~1942)と並び称された山元春擧(1872~1933)が大正年間に故郷の滋賀県大津市に別荘として造営し、後に本宅とした屋敷。

建物は重要文化財に庭園は大津市指定の名勝となっています。

東面が琵琶湖に接し、広々とした湖面と対岸の三上山などを一望のもとに収める抜群の立地を生かし、建物・庭園ともに春擧が自らの好みに任せて営んだものです。

建物にせよ庭園にせよ、構想や設計を具体的な形に仕上げるには優れた施工者が必要であることは言うまでもありません。そして、この蘆花浅水荘の作庭に携わったのが本位政五郎でした
4)

蘆花浅水壮の庭園に関する春擧の構想は、園外に広がる琵琶湖や対岸の山々と庭園の景色を一体的に纏め、あたかも一幅の絵画であるかのような景色をつくることでした。

この作庭には山元家に遺る記録から本位政五郎・弟 由之助が関わっていたことがわかっています。石代と手間賃が主であることから、流れ沿い[図3][図4]など石工事の部分だったことが窺えます1)
[図3] 蘆花浅水壮 竣工当時の東面 引用「庭NIWA」29頁
[図4] 竣工当時の琵琶湖側から見た主屋 引用「庭NIWA」29頁
〈山元春擧〉
山元春擧は明治4年(1871)、滋賀県膳所(ぜぜ)の出身。
12~13歳で遠縁にあたる野村文挙(1854~1911)について日本画を学び、その後森寛斎(1814~1894)に師事をします。
そして早くから頭角を現し、京都を代表する画家の一人として活躍されました。

描かれる作品の多くが山岳風景[図5]であり、それまでの画家たちが表現してきた山の景色とは全く趣を異にした新しさを感じさせます。

蘆花浅水荘は大正3年(1914)秋、当時42歳の春擧が出生地近くの膳所・中庄の湖岸の土地を取得したことにより造営が開始されました。
建物の用材は目利きの銘木商が選んだような質のいいものばかりで、建築道楽と称されるほどこだわりをもって作られています。同じく建築道楽と言われている京都画壇の栖鳳や橋本関雪(1883~1945)をもはるかにしのぐといっても良いほどです。

春擧がここまで入れ込んで蘆花浅水荘を建築したのは、40歳までの京都生活で画塾の運営や弟子教育などでプライベートの時間が極めて少なかったことが影響していたと言われています。

画塾が「早苗会」に改組されて、古参の弟子が運営するようになってからは、時間的にも精神的にも余裕ができたのでしょうか、そして春擧が本格的に取り組んだことの一つが建築だったのです。[図6]
[図5] 《初夏白糸の滝図》明治40年代 滋賀県立美術館蔵
[図6] 蘆花浅水荘 建物 弊社社長撮影2022/09/03
本位政五郎の生い立ちについての情報が少ない中で、”最初は盆栽作りから出発された”という部分に、私の趣味である盆栽に親近感を少し感じました。

私の盆栽歴は4年とまだ浅いですが、その知識が造園の剪定管理に繋がったことを私が安行庭苑入社してから二年の間で実感しています。

作庭家のことを調べたり、社長が剪定管理の参考にしている日本画のことなど、あらゆる方面で作庭に生かせたらと思いを馳せながら続けていきたいです。

そのためにも日々精進です^^

まだ寒い日が続きますが皆様どうかお体ご自愛ください。

安行庭苑 秋山



参考文献
『庭 NIWA』245号、株式会社建築資料研究所、2021年、28~29頁
 鬼頭美奈子『山元春擧』名都美術館、2019年

『蘆花浅水壮と山元春擧画塾』大津市歴史博物館、2022年


引用文献

註1)重森三玲「芦花浅水壮庭園」『日本庭園歴覧辞典』東京堂出版、1974年、604頁
註2)重森三玲・重森完途「蘆花浅水壮(記恩寺)庭園」『日本庭園史大系:第27巻・現代の庭(一)』
   社会思想社、1971年、85頁

註3)小島佐一「作庭のあゆみ」『小島佐一作庭集』誠文堂新光舎、1976年
註4)
庭 NIWA』245号、株式会社建築資料研究所、2021年、28頁